A24が買い取ってから? ホラー映画界隈でざわざわとしていた本作。私も設定だけでわくわくしていたので、公開が決まったからには行かねば! と思っていたし、たまたまタイミングもあったので、公開当日に観てきた。
客入りもなかなかで、あの会場にいた人たちが全員あの意味不明な映画を観たと思うとなかなか楽しい気分。
むかしむかし……
この映画を物語にするなら、たぶんこの書き出しがぴったりだと思う。なんとなく自分たちの身近な場所で起きたわけじゃない、だけど自分たちの現実に落とし込んでしまうような不思議な雰囲気。まさに寓話的なストーリーだと思った。
日本では見られないような広々とした土地に、そびえたつ山。どこか寂しげな色をしたグレーな寒々とした風景で繰り広げられる、ありえない話。退屈だと感じる人がいることは理解できるが、私はちょっと退屈だと思いながらもすっかり世界観に入り込んでしまった。
「怖いもの見たさ」「好奇心」……この気持ちの名前はよくわからないけど、先が知りたいという気持ちが強かった。
人間という生き物の業の深さ
私たちは生きるためにたくさんの生き物を犠牲にしているし、それを当然だと思っている。動物の肉は食べるし、植物を押しのけて自分たちの家を建てて暮らしている。疑問を一つも持たずに。
それは大自然で生きている2人も同じだった。だから、“子どもを失った可哀そうな自分たち”という視点だけでアダちゃんをみていた。神様が自分たちに与えてくれたギフトなのだと、信じて疑わなかった。
アダちゃんが生まれた理由は大変衝撃的なラストで明かされるわけだが(あれをコメディと捉えるべきかは大変悩むところ)、母親から奪っても当然と思っているのが一番ゾッとした。
マリアは、アダちゃんと連れていった母親羊に対して「来るな」と叫んでいたが、あのときの母親羊の瞳が忘れられない。子どもを奪われたマリアが、家畜/動物相手には平気で同じことができる。誰よりもその気持ちを理解しているはずなのに。
しかし、正解は分からない
今回驚いたのが、羊の母性本能の強さである。私自身も動物をなめ切っていたんだと自覚させられたが、これほどまでに子どもに執着すると思わなった(あれはノンフィクションという認識で間違ってないよね?)。
子どもを思って泣き続ける母親羊の声に切なくなって、でも身体が人間のアダちゃんを羊たちと小屋に入れるのは現実的じゃないとも思うし……。
どうすれば解決できたのかというと、“父親”が迎えに来るべきだったよねという……。
あと、あの場合は母親羊はレイプされたのかが気になった。ラストで冒頭のシーンの意味が分かったけど、望まない妊娠(羊相手に適切な表現化分からんが)だったのかな? とか……。
衝撃的なラストのおかげでメタファーなのか、ただのフィクションなのかがよく分からなくなったけど、こういう映画はそういう楽しみ方で間違ってないとも思う。
よく分からない映画を観て、感情が揺れる時間があるというのは大変贅沢な経験である。